2006.07.05 | 徒然に
母の話
僕は、母と素直な気持ちで笑顔で会話した記憶が小学校の途中から22歳になるまでなく、その間はずっと反抗期のようなものでした。小学校のころ、必要以上におせっかいに思える母の言動がうっとおしく、何か言われては「わかってるわ!」「うるさいって!」と言い返し反抗期に突入していったような記憶があります。
記憶に残っている事のひとつに、小学校4年くらいかな。遠足に出発するバスを見送りに母が来ていて(そこまでは他の母親も何人かいたので同じ)、バスに乗る前しつように、
「H(←僕の名前)、車酔いするんやから後ろのほう座ったらアカンで。真ん中がいいねんで。タイヤの上の席も酔いやすいから、止めときや」
周りに友達がいる中でそういう母の声を非常に恥ずかしく思い、ひたすら「わかったから」「もう、ええって」とか言って、それ以上恥ずかしい思いをさせてくれるな!というように願っていました。
家の外では真面目な少年だった僕も、そんな頃から家では生意気に母にぶつかっていたのです。荒れはしてないけど、決して和気あいあいという雰囲気はなかった気がします。なんとなく思春期を迎えると少し距離を置くようになって、なんでも自分で判断できるかのような言動をしたり、クラブ活動で大会に出場することがあっても「見に来んでええで」といって突き放したり。
しかし、そういう自分の態度を改めたのが社会人1年目。兄姉から母の余命を聞かされたから。僕が大学時代から母は入退院を繰り返してきたものの、それほどのことだという認識がなく(まったく自分が甘い)、ずっと反抗期の延長のような態度。そして「余命」という言葉が医者の口から発せられるようになりだした頃も、兄姉は一番下の僕を気遣ってしばらく言わずにいてくれたみたいです。
「あと、3ヶ月くらいかもしれん」
そんな言葉を聞いた時、何となく自分でも状況的に良くなってないというのがわかっていたので、覚悟はできていたという感じでした。別にそれを聞いて泣いたとか、そういう記憶はありません。
社会人1年目でも帰宅時間は9時とか10時とかになっていたのですが、話を聞いてから(すぐか、もしくは、しばらく経ってからか)なるべく病室には顔を出そうと消灯時間を過ぎた病院へ会社帰りに寄って、たわいのない話をするようになりました。
二人でたわいのない話をするって事自体、これまで自らしようとしてなかったと思うので、もしかしたらすごい久しぶりなのかもしれません。そしてそんな会話の中で笑い合ったりしたのは、本当にすごい久しぶり。「あぁ、母ともこういう会話ってできるんや…」と思ったような気がします。同時に、なんでこれまであんな態度でいたんやろう、という反省。
それから短い期間、多分数えるほど、ほんのわずかながらの親孝行の途中、
1997年7月5日に、母はこの世を去りました。
もし、自分の子供達が、僕と同じように反抗期を迎え、笑顔を向けてくれなくなっても、僕はそれにへこたれず愛情を注ぎ続けなければいけないなと思っています。今の自分がこうしていられるのも、母が注ぎ続けてくれた愛情のおかげだと感謝できるから、間違いなくできると信じています。
08:09 | Comments(9) | TrackBacks(0)
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Comments
ものすごく大事な話だね。
うちの母親も、以前大病をしました。
同じように、まだ僕が若いころ。
父と姉は本当の病名を知っていたけど、当時高校生だった僕は別の病名を教えられていました。
本当の病名を知ったのは、母が無事退院してから。
本当の病名を知ったときは、ショックでした。
母が大病だったのもショックだったけど、本当のことを知らされなかったショックも大きかった。
なんか、信頼されてないみたいで。
今は、再発もせず、元気に暮らしている母。
病気の後は、とにかくポジティブで活動的になった母。
東京で暮らすようになってから、なかなか連絡もしてないけど、孝行したいときに親はなし。
時間は少ないかもしれないけど、話できるときに
なにげない会話でもしとこうと思います。
ミッチィのお母さんも、幸せだったと思いますよ☆
こんにちは。ご無沙汰してます。お元気ですか?
めちゃめちゃ久しぶりにふらりとのぞいてみたら
胸にきました。
そうか。
うん。
お母さんは、今、みっちぃをとても誇らしく思ってはると思います。
うん。
PS:
コウセイくんにはやく会いたいわぁ。
写真、カワイーー(*´v`)
世の中で一番強い愛は、子を思う親の愛だそうです。
のっぽはその予定がないため、一生わからない事です。
日頃、「なんでもやってみなわからん!」と偉そうに
言ってますが、こればっかりはどうしても無理です。
相手がいないからとかではなくて、嫌いなもんは
嫌いなんで、どうしようもないんですよね。。。
お子さんがうまれてミッチィのご両親への想いも
また前とは違った感じでしょうか?
(よく、子供を育てると親の気持ちがわかるっっていうので)
つながる命って尊いなぁって思います。
私は父が亡くなって、でも祖父(父の親)が元気にしている時
二人のかわいい姪を見るとつながる命の尊さを
ものすごく感じて、両親や祖父母への感謝の気持ちが
わぁーってわいてきたのを覚えています。
子供を育てて感じるものがたくさんありそうなので
私も授けてもらえた時はいろんなものを感じれたら
いいなぁと思ってます。
久しぶりに他の人の日記でポロリ・・でした。
反抗期か‥‥どうしても仕方ないことなんだろうねー。
心では悪いと思ってても全く逆の態度をとってしまう‥‥私も経験あるし、思い出すたびに反省です。
でも、ミッチィが最後、お母さんとの会話に一生懸命努力したことは絶対天に届いてると思う!
どんなに時が経っても親は子のことを心配するのは当たり前なんだろうね、きっと。
今でも、天国からミッチィのお母さんは「車酔い気いつけやー」って言ってると思うよ。
すごく、じーんと来たよ!
今日はお母さんの命日だったんだね。
いるのが当たり前の状況だと、親に対する気遣いって
後回しになりがちだよね。
私は社会人になってから9年間、
家からはすっかり足が遠のいてしまってました。
今年になって、毎週両親に会うようになってから、
やっぱり親はありがたい...と改めて思うようになりました。
ミッチィは親の気持ちを実感してるんだね。
そうやって、人生は巡って、繋がって行くんだなぁ
当たり前のことなんだけど、心から実感できると
自分の中での意味が変わってくるよね(^^)
反抗期は私もながかったなあー、めちゃくちゃ仲悪かった。
でも今は一番仲がいい。心配してゆってくれてるのをうっとおしいって思てた時期がめちゃあったなあー。
親孝行できてよかったねえ。
子供今度みせてな!
たくさんコメントいただいて恐縮です。
ありがとうございます!
>極悪さん
名前(ペンネーム)に負けず親孝行してや。
>メタさん
俺もぶっちゃけ「なんで早く言ってくれへんねん」と思った。
でも気を遣ってくれてのことやしと思って受け入れた。
そう、親孝行したいときに親はなし、とはよく言ったものです。
>まつりえさん
元気でっせ。
誇らしく思ってくれてたら本望。恥じぬ生き方せなね。
コウセイ、早く見たって!
>のっぽさん
子どもは、実に自分の分身。愛が強くなるのは当然。
自分の分身の成長を見るのも悪くないですよ。
>ヤマクミさん
命って繋がるもんやねんなぁ、たしかに。
親は当然、先祖も大切にしなね。
僕もここ何年か、親戚含め墓参りをたくさんするようになりました。
>まりりんさん
僕の場合、反抗期が長かった気がするから余計罪悪感が…。
まりりん、花嫁姿見せてあげたことだけでも親孝行やで。
>sachihoさん
実は、まだそれほど親っていう実感はなく、
でも今から覚悟は必要じゃないかと、未来への不安と対策をしているような
そんな感じです。sachihoんところは、こうやって今、
手伝いをしてくれるのがすごく嬉しいと思うなぁ。
>ママラージさん
子供がいくら悪態ついても、それを受け入れる親の愛情って
すごいんやろなぁ。今めちゃ仲いいんやったらたぶん
オカン心の中ではすごく嬉しいと思うなあ。ええこと!