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東北まみれ LineUp

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2005年07月01日

東北まみれ12      この世の終わりまで長生きしたければ

不老不死。あこがれてますかみなさん。
不老不死の体が手に入れば地球滅亡のその日まで、(約50億年後)
ひょっとしたらその後も平安に暮らせます。

不老不死になる方法は、いくつかありまして。
実践した人もいるから私たち初心者としては心強いわけです。
今すぐできる入門編から、ちょっとキツめな上級編まで。
先人に学びつつ、自分に合った方法をチョイスしてみましょう。

●Lets study 不老不死!
その1【桃を食べる】・・・・
■実践した人/孫悟空、武帝 ■不老不死度/100%
中国の女神・西王母(せいおうぼ)の花園に桃が植えられています。この桃は3000年に1度実り、1つ食べると600年寿命を増やすことができます。つまり、2つ食べると1200年の寿命になれる。中国の武帝は西王母からもらって食べたそうです。孫悟空は手当たり次第盗み食いました。めちゃめちゃ食べました。だからマチャアキは死にません。

その2【人魚の肉】・・・・
■実践した人/八百比丘尼 ■不老不死度/100%
人魚の剥製見たことありますよね。よく屋根裏からでてきますね。(いろんな動物をつぎあわせて作ったニセモノらしいですが)江戸時代に人魚の骨が薬として珍重されたようです。肉は不老長寿をもたらすとされ。人魚の肉を食べて八百歳まで生きた八百比丘尼話は有名です。味もまあまあだそうです。

その3【金丹】・・・・
■実践した人/始皇帝、孫悟空他 ■不老不死度/50%
中国では不老不死になるためには、永遠に輝きを失わない気(丹)を体内に宿せばよいとされます。最高の丹は「金丹」とよばれる薬。中国でも盛んに研究され、それらしきモノが作られました。金丹は、鉛や水銀などを含んだ有毒なものであったため、大量に服用して中毒になる人も。唐王朝時代は、22名の皇帝がいましたが、その内6人は中毒死だそうで...って意味ないじゃん!

その4【吸血鬼になってみる】・・・・
■実践した人/いろいろ ■不老不死度/80%
吸血鬼も基本的に不老不死であります。(十字架や陽光にはヨワイけど)吸血鬼と人間のハーフが活躍する小説『吸血鬼ハンターD』(菊池秀行著)には、人間が不老不死を手にいれるために、わざわざ吸血鬼に噛んでもらう話があります。映画『インタビュー・ウィズ・バンパイヤ』では、吸血鬼が共に生きる仲間欲しさに、ある男の血を吸って仲間にしてしまう・・・って案外寂しがりやさんなのね。未来永劫生てゆくってのも、ある意味、ものすごい孤独を味わうことなのかも。

その5【霊芝】・・・・
■実践した人/ウチのおばあちゃん 武帝、始皇帝 ■不老不死度/90%
中国では、霊芝を[三秀][神芝][不死草]等と呼び、珍重されています。始皇帝が生涯にわたって探し続けたのも霊芝だったといわれます。ウチの実家にあるんですよね。お婆ちゃんが漢方薬屋さんで買ったみたいで。これなら、すぐに買えそうだし、誕生日プレゼントにいいかもしれません。不老不死なプレゼントに彼女も大喜び!

その7【体を冷凍保存してみる】・・・・
■実践した人/数十人 ■不老不死度/未測定
アメリカの会社がやってます。まず、死亡直後に氷詰めに。その後体液を水溶液に入れ換える。この水溶液が一種の不凍剤の役目を果たす。 遺体は約マイナス200℃の液体窒素で冷却され、低温維持装置の中へ。医学が画期的進歩を遂げ、蘇生が可能になるときを待ちます。ずうっとまちつづけます。

その7【不老不死温泉】・・・・
■実践した人/地元の人、旅行者 ■不老不死度/未測定
不老不死温泉は、津軽半島最古の温泉です。無色無臭のお湯は、リュウマチや高血圧などに効能あり。日本海に沈む夕陽が見られる秘湯として有名なんですよ。彼女と一緒につかり、「君には・・・美しいままでいてほしい・・・」と遠い目をして告白してみろ!

たぶん、その7が、いちばんおすすめです。
不老不死温泉についてくわしく知りたい方はご連絡を。
海っぺりにつきだした、絶景温泉です。
海が荒れているときは、はいれないのでご注意を。

2005年02月23日

東北まみれ11なまはげ遭遇記その1〜怒濤さかまく男鹿半島

男鹿半島は、秋田県にあって、日本海にぼこんとつきでた半島です。
なまはげ取材1日目、入道崎という、半島のいちばん突端の岬を訪ねました。
緑の芝生が一面にひろがり、その先には断崖絶壁と、日本海の大海原が広がり、
地平線に夕日が沈むロマンチックねえ.....そろそろ結婚しましょうか、あたしたち。

ってな具合になれるのは、夏ですね。
わたくしが訪れたのは2月のあたま。真冬です。
東北地方が一番寒い季節です。

灰色と灰青色が入りまじった空。風がひっきりなしにふきつけ、
空いっぱいに、雲がぐんぐんひろがり、ぶんぶんよぎっていきます。
ときおり白い太陽の光が雲のあいだからさしこみ、
灰色と群青色の混じった海をしらしらてらします。
強風のおかげで、枯れた芝生の上に雪はありません。
つもるわけないじゃない。

吹き飛ばされつつ。よろめきつつ、断崖絶壁へとむかいます。
目も口もあけられないんです。風のせいで。めちゃくちゃな風力です。

そう。ここは北欧に広がる荒野。
世界をほろぼす指輪を胸に、一歩一歩モルドールへと
困難な旅をつづけるわたし。
サム!アラゴルン!レゴラス!あたし負けないからー!

強風にびびりつつ、半泣きしつつ
はいずりはいずり岬のはじっこの断崖までたどりつきました。

なまはげの故郷、男鹿半島。
なまはげはどこからやってきたのか。
どこへむかおうとしているのか。
日本海の荒波よ!男鹿を渡る荒風よ!
われに力を!(はやく避難せよ)

つづく

2005年01月18日

プレ 東北まみれ11 なまはげまみれ

2月になまはげ取材にいってまいります。
知ってますかなまはげ。
大晦日の夜、秋田全域に出没する と思っている方も
いらっしゃるかと思いますが、それはまちがい。
秋田県民のなかでは、なまはげに一度も遭遇していない人の方が
多いくらいなのです。
なまはげの生息地は男鹿半島。(じゃっかんその他の地域にも出没しますが)
男鹿地域に住んでいる人のみ、なまはげに遭遇しうるのです。

こないだ秋田の観光課の人としゃべったときのこと。
私「やっぱり、某さんもなまはげに?」
某「ええ。親戚の家へ、毎年、父母に無理矢理
連れて行かれていました。3歳ころまでは、
「なまはげ!」と父母が口にした瞬間に、いたずらをやめていましたね」

ものごころつく前の、男鹿の子供たちに
絶大な影響を与えるなまはげ。

大晦日の晩、男鹿半島の家々にあらわれるなまはげは
子供たちに向かってこう呼びかけます。
「泣ぐ子がいだが、いねが。親の言うことをきくが、きがねが。
もし泣いたり親の言うこときがねば、もらてゆく。山さつれてゆぐ」

で、山さつれてゆがれた子供たちには
おそろしい罰がまっているわけです。

そういえば幼いころ、聞き分けのないことをすると、
おばあちゃんに「子盗りに連れて行かれるよ!」とか
「キツネに連れてかれるよ!」とか言われたしなめられた記憶があります。
(なんで小鳥に連れてかれるのかなあ....
と、大幅に勘違いしておりましたが)

家の主人のとりなしで「それではごめ(許し)してやるか。
言うこときがねばいつでも来てもらってゆくから」といいのこし、
けたたましく去ってゆきます。

子盗りやキツネでも怖いのに、
あの形相のなまはげに(大人になってから見るとユーモラスにも見えますが)
約束させられた日にゃ、
悪いことする気もすっかりうせるというものです。

子供をしつけ、家族の絆をしっかり固めるなまはげパワー。
パワーの秘密を探りにいってきます。
報告を待て!

2004年12月07日

東北まみれ10番外(文京区)我が心の大塚警察署2

派出所での取り調べが終わり、
後日、乗車料金を郵送するということで、
タクシーの運転手は帰っていきました。

わたくしと上司は、派出所から出て、
道ばたにたたずんでおりました。
「やまさんがいなくなったあと、大変だったのです」
疲れはてた上司の横顔。
東の空が群青色から水色へとかわっていきます。

「お寿司やらお酒やらがどんどん出てきたのは
おぼえてますよね」
「はい。みんな酔っぱらっていました」
「で、そろそろカラオケタイムにはいろうとしたら、
カラオケのリモコンがないのです。そしてやまさんもいない」
「はあ」
「あわててトイレやらお店のまわりやらを
みんなで探しにいったんです」
「はあ」
「店の人が“少し前に女の人がリモコンを持って
お店をでてゆかれましたよ”と教えてくれました」
「...それがわたくしですね」
「なぜリモコンを...」
「.....さて...」

「部屋にもどってみると、ソファーにやまさんの
カバンがおきっぱなしに」
「やはり」
「携帯が突然なったので、やまさんかと思い
出てみました。やまさんのお父さんからでした」
「お、お」

もうろうとした頭で
わたくしが警察官に伝えた電話番号は
どうやら兵庫県の実家の電話番号
だったようです。

警察官が実家に電話し、泥酔娘を保護していることを伝え、
父がわたくしの携帯に電話し、
たまたま上司が出たというわけでした。

父「いつも娘がお世話になっております。
娘は文京区の大塚警察署に保護されているようです」
上司「わかりました。いそいで迎えに行きます」

「ご、ご迷惑を...」
「それだけではないのです。やまさんのほかに、
もうひとり、たいへんなことになってしまったのです」
ビールのいっき飲みを繰り返していた取引先の部長が、
カラオケを歌っている最中に、いきなりばたんと
ひっくりかえったのです」
「ぶ、部長が」
「あわてて助けおこし、タクシーを呼んでもらって
運転手に1万円を握らせ、
自宅まで送ってもらうようにしたんですが」

100メートルほど進んで急にUターンし、もどってくるタクシー。
「どうしたのだろう?」
見送る上司以下関係者の前で停車するタクシー。
窓がするすると開き、泥酔部長が顔を出す。
その口からふきだす×××××××。

運転手「お客さんおりてください!」
部長「×××××××!」
上司「すみませんすみません」
上司は取引先の部長の××の後始末におわれ、
その他の人々は運転手に平謝りしながら
なんとか送ってもらうよう懇願し...。

「ほんとうに大変でした」
「ほんとうにすみませんでした」

「なぜ、出て行ったのですか」
「おぼえていません」

「なぜ、リモコンを持っていったのですか」
「わかりません」

わたくしと上司は顔を見合わせ
しらしらとした朝の光のなかで、
ちからなく笑いあったのでした。
「とにかく、無事でよかったです」

翌日、取引先の部長から謝罪の電話がありました。
わたくしはタクシー料金を振り込みました。

わたくしの書いたぐじゃぐじゃ文字の調書は、
まだ大塚警察署に大切に保管されているでしょうか。
こわもての笑顔が優しいゴリさんは、まだ大塚警察署に
勤務されているでしょうか。
すこしおどおどした感じがういういしかった
若い警察官は、区民のために活躍しているでしょうか。

わたくしが東京に出てきて1年目の出来事でした。
(最初に住んだのが文京区護国寺でした)

大塚警察署にいってみたい方はご連絡を。
(文京区内で騒動をおこせば急行できる可能性大)
有楽町線「護国寺駅」より徒歩すぐ。
講談社のビルも徒歩すぐです。

2004年12月06日

東北まみれ10番外(文京区)我が心の大塚警察署

みなさんは警察にお世話されたことありますか。
わたくしは1度、お世話されたことがあります。
気が付いたら警察所のソファーにすわっておりました。

なぜ、その時まで、警察にいることに気が付かなかったかというと。
アルコールの国をご機嫌に旅していたからであります。

大塚警察署は、文京区にあるとても大きな警察署です。
そこの2階のふるぼけた緑色のソファーに、
わたくしは腰をかけていたのでした。
市役所の窓口にあるような横に長いカウンターが奥へと続いています。
その向こう側のあちこちで、
背広姿のチョーさんやゴリさんやヤマさんたちが働いています。
わたくしはただただ呆然と、その光景を眺めておりました。
時計の針は午前4時すぎ。

目の前ににょっきり差し出された無骨な手。
小さな湯飲みから湯気がたっています。
見上げるとイガグリ頭のゴリさんが立っていました。
着古した茶色のスーツに灰色のベスト。
渋いがらがら声。
「まあまあ」
「はあ」
「どうぞ」
「はあ」

ゴリさんは、再び手を差し出します。
おまんじゅうが並んだ箱です。
「誰かのおみやげですけど」
「はあ」
「よかったら」
「はあ」

熱いお茶と、甘いおまんじゅうで
じっくりしておりますと
今度は制服姿の若い警察官が
目の前に立ちました。

「あのう。派出所で調書をとりますので
ご足労ねがえますか」
「はい。えと、ごちそうさまでした」
ようやく頭が回転してきたようです。
ゴリさんの日に焼けた顔に浮かぶ
笑顔が印象的でした。

大塚警察署を出ました。
若い警察官の自転車のうしろにくっついて、
明け方の道を歩いていきます。

「すぐ到着しますのですぐそこですので」
「はあ」
「ひえますねあけがたは」
「はあ」
振り返り振り返り、わたしがちゃんと歩いているかどうか
たしかめつつ、若い警察官は近くの派出所まで
ていねいに送ってくれました。

どんなに酔っぱらっていても、
住所氏名年齢は自分で書かねばなりません。
必死でボールペンを握り、
ぐじゃぐじゃの文字で住所氏名年齢を書きました。

見知らぬおじさんがわたくしの隣に座っています。
タクシーの運転手でした。
どうやら一番迷惑をこうむっている人のようでした。
わたくしがかけたわけですが。

中年の警察官がわたくしの尋問担当でした。

「ええと。あなたのかばん、どうされました」
「....ないです」
「お財布は」
「....ないです」
「どっからのりました」
「....カラオケボックスです」
「どこの?」
思い出してきました。
数時間前、わたしは会社の接待で
会社の人と取引先の人と
高級カラオケボックスにいたのでした。
かばんもさいふも携帯も
たぶんそこでしょう。

お茶であたたまっていた体が、だんだん冷えてきました。
「携帯の番号わかる?」
「...うーん」
「思い出せる?」
「...はあ」
使い慣れた携帯なのに、まったく思い出せません。
恐るべしアルコールのちから。

突然テーブルの電話が鳴りました。
「はい。はい。あ、そうですか。了解しました」
電話が切れました。
「会社の方が、迎えにきたそうですよ」

それから数分後、上司があらわれました。
手にはわたくしのかばんがぶらさがっています。
「や、やまさん...」
「じ、じょうし....」
わたくしたちは顔を見合わせたまま、絶句しました。
上司の青ざめた顔に、乱れた髪の毛がまとわりついています。

わたくしがいなくなってから、わたくしの知らない間に
大変なことがおこっていたのでした。

つづく。

2004年12月02日

東北まみれ9番外(世田谷)次郎さんのクリーニング

このあいだの日曜日、クリーニング店にスーツを出しにでかけました。
家の近所の大きな通りに出てあたりをみわたすと、
すこし先の、道路に面した店の窓から、
白い蒸気が威勢よくふきだしいていました。
とくに店のあてもなかったので、お願いすることにきめました。
からからとドアをあけ中へ入りました。

10畳ほどの広さ。黒光りする床に一見雑然と、
よくよく見ると服の種類ごとに分けられたラックの群れが、
ところせましと並んでいます。
天井近くのすすけた壁にはおふだやら営業許可書やら招き猫やらが
こちゃこちゃと飾られています。

店の奥の窓に面した場所が彼の仕事場。
ランニングシャツからのびる筋肉のついた赤黒く日焼けした腕が、
縦横無尽にアイロン台を動きまわります。
しゅうしゅうもうもうと盛大に蒸気ふきあがります。
「おねがいしまーす」
「はい。いらっしゃいませ」

とつじょ、あたまのなかを、イギリス国歌の
壮麗な調べがまわりはじめました。
そう。
目の前にすっくと立ったのは。
白い歯をのぞかせながら、上品な笑顔で、
わたしの目の前にあらわれたのは。

....じ、じ、じ、次郎さん?!

シニア層に絶大な支持を誇る雑誌「サライ」では、
イメージキャラクターに起用され、
死してなお関連本がぞくぞく出版され、
さまざまな雑誌で特集を組まれる白州次郎さん。
その人だったのです。

兵庫県芦屋の富豪・白州商店の御曹司。
イギリス・ケンブリッジ大学を卒業し、紳士道を身につけ、
高級スポーツカーを乗り回す身長180cmのハンサムボーイ。

戦後のアメリカ占領下。日本全体が右往左往していた頃。
次郎さんは吉田茂外務大臣の要請で終戦連絡事務局参与となり、
GHQとの交渉にあたる。
GHQに対して卑屈な官僚や政治家の中にあって、
次郎さんはは一歩も退かない。
GHQは「従順ならざる唯一の日本人」と本国に連絡。

昭和20年12月のクリスマス。
次郎さんは天皇陛下からのプレゼントを
マッカーサー司令長官に届けた。
マッカーサーの部屋のテーブルの上はプレゼントでいっぱい。
マッカーサーは床のどこかに置いてけと指示。
次郎さんは「いやしくも天皇陛下の贈り物である」と憤然と席を立つ。
驚いたマッカーサーは急いで新しい机を運ばせた。

GHQ民政局長が
「白州さんの英語は大変立派な英語ですね」とお世辞を言った。
次郎さんは「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」
と答えた。

サンフランシスコ平和条約で、
吉田茂はGHQから英文の演説文を渡されていた。
次郎さんは、「相手国から与えられた文章を英語で読むのはおかしい。
講和条約は対等の関係であるべきだ。日本語で話すべきだ」と主張。
演説文を日本語に書き直させる。
吉田茂は、羽織袴姿で朗々と日本語で演説文を読み上げ
日本の威厳を保った。

「育ちのいい生粋の野蛮人」と評された次郎さん。
「葬式無用、戒名不要」の言葉を残して、
1985年、83歳で世を去った。   

すすけたクリーニング店は一転、
帝国ホテルのフロントと化しました。
「あ、あ、あの、これ、おねがいします」
「スーツですね」

さっきほどまでのアイロンがけの動きとはまるでちがう。
やわらかい物腰と声のひびき。
ふしくれだった手が、
フランス料理を優雅にサーブするごとき手つきで、
スーツの表面をやんわりさらりとなでます。

じ、じ、じ、次郎さんだ.....!

「だいじょうぶですから」

じ、じ、次郎さんがいる...!

「だいじょうぶですよ。おまかせください」
「....や、や、山本です、よ、よろしくおねがいします」
私は不自然なほどまじまじと彼を見ていたようです。

「だいじょうぶですから」という、
やさしく安心させ、かつ、きっぱりと決意にみちた言葉。
「おあずかりしときまーす」ではなく
「だいじょうぶですから」

そう言われた瞬間、私は
胸のあたりがじーんとあつくなったのでありました。

「そうだ。だいじょうぶだ。生きるってたいへんだけど、
でも、わるいことばかりじゃないんだ、いいことだってあるんだ。
胸をはって生きていくんだ。そうだよね次郎さん!」

彼の、己の仕事への誇りと自信に満ちた発言が、
わたしの心にぐっさりとささったのでありました。

少し高いが、仕事は超一流。次郎さんのクリーニング店。
後日、引き取りにいったとき、店に入るなり
「山本さんですね。仕上がっていますよ」と名前を呼ばれ
完璧にクリーニング&プレスされたスーツが手渡されました。
襟元には、マジックで私の名前の書かれた小さな布タグが
赤い糸でちょこんとつけられておりましたよ。

次郎さんのことをしりたければ、こちらへアクセスを。
http://www.buaiso.com/index.html

次郎さんのクリーニングをためしてみたい方も、ご連絡を。

2004年11月18日

東北まみれ8番外(鎌倉)猫まみれ

大佛次郎をしっていますか?
あ。だいぶつ   ってよんじゃいました?

あたらずともとおからず。
彼はペンネームを決めるときに、
「鎌倉の大仏さんの裏側に住んでいるから、
大仏さんが長男とすれば、僕は次男というところかな...」
と思いつき。ほんとにイキオイでつけてしまったんですが
それが一生のペンネームとなります。

鞍馬天狗はご存知ですか?
みなさんのおじいちゃんやおばあちゃんならば
ご存知のはず。
映画化されて大ヒット、アラカンこと荒寛寿郎の当たり役であり、
日本人の元祖時代劇ヒーローであります。
大佛次郎はその作者であります。

重厚な歴史ノンフィクションから、庶民の味方の鞍馬天狗、
軽妙洒脱なエッセイまで、ひとくくりにはできないほど
幅広い分野で活躍した大佛次郎。

そんな彼は大の猫好きでした。

そんなんふつうやん、って思っちゃいました?
あたしだって猫好きやし実家に2匹かってるし、とか
思っちゃいました?

500匹です。
次郎さんが世話してた猫は。

鎌倉の自宅で、
次郎さんは一生のうちに500匹の猫と暮らしたのです。

家にはいつも15匹の猫がいました。
いえいえこれは、あくまでも、家に寝泊まりしていた猫の数。
15匹以外にも、
ご飯どきにえさだけもらいに外からやってくるノラ猫たちや、
次郎さんの猫好きをききつけて、玄関先に捨てられていく猫など
をあわせると、20匹、30匹以上にもなったそうです。

次郎さんのゆかりの品を展示してある横浜の記念館に、
一枚の写真があります。
中国風の服を着てご満悦な表情の次郎さん。
背景のおんぼろずたずたに破れた障子から猫が2匹顔を出しています。
中国旅行での遺跡or廃墟を背景にしてのスナップ写真かなあとおもいきや。
学芸員さんいわく  「ご自宅です」。
障子の穴は、家に出入りする猫たちが開けた通り道。
家中の柱も猫のツメトギでささくれだち。
戦場のごとき有様だったようです。
それでもますますにこにこ笑顔の次郎さん。
本当に愛していたんですねえ。
自分からは抱っこしたり、なでたりせずに、
近寄ってごろごろする猫を見ているのが好きだったとか。
なんだか猫みたいな人ですねえ。

生まれ変わったら猫になる
と、彼はおっしゃっています。

鎌倉の小町通り近くの奥へ入った
黒べいのつづく路地に
次郎さんの自宅と茶室がいまもあります。
現在は、生きた猫はいませんが、
次郎さんのコレクションのである置物の猫たちが
茶室の棚や机の上でのんびりひなたぼっこしております。

茶室は土日だけカフェとして開放しており、
畳の上でシャンパン飲みながら、
次郎さんや猫たちが散歩した、こじんまりした庭を
ぼんやり静かに眺めて過ごすことができます。
1月は梅がきれいだそうですよ。

私も猫が大好きです。
でも、まだ3回くらいしかさわったことがありません。
だれか、猫かってるひといませんか?
さわらせてもらえませんか?
いずれ、一緒に暮らしたいと思っているのです。
いろいろアドバイスくださいませ。

次郎さんについて知りたい方はご連絡を。
「大佛茶廊」について知りたい方もご連絡を。
あ、大佛は、おさらぎ とよみます。

2004年11月12日

東北まみれ7日本昔話にひたりたければ

ちいさいころは、いろんなものが見えました。
みなさんも経験があるとおもいます。
私の3歳から4歳時代は、そんな時代でした。

おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にねていました。
ねるときにはいつも着ていた服をたたんで枕元におきます。
(おばあちゃんのしつけってやつです)
夜中にトイレにおきて、真っ暗な廊下を歩いてねどこへ帰ってきますよね。
ものごっつい大きな犬が、私の枕元でにらんでるんですこっちを。
暗闇に、チョークで描いたみたいに白い輪郭で
大きな犬の体が浮かび上がっています。
枕元にたたんでおいた服が、犬に化けていたのです。

毎晩毎晩動物やら形状のさだまらないぐにゃぐにゃしたモノやらが
トイレから帰ってくる私を待ち受けていました。
あるときなど、おばあちゃんの首だけが、
けらけら笑いながらこっちを見ている。
...って...あんた...それは完全にお化け屋敷ですから!っ残念!

いえいえ。けっしてうちはお化け屋敷などではありませんでした。
わたしは、彼らをこわいとは思いませんでした。
犬やら軟体動物やらおばあちゃんの首やらに化け私を怖がらせようとする
そいつらを足でぎゅうと踏んづけて、布団の中にもどっておりました。

こんなこともありました。
家の畑にマムシが出ました。
近所のみなさんで協力してようやっと捕まえました。
マムシ酒にしようという意見がでて、
誰かが持ってきた一升瓶にマムシを入れ、
私の家の納屋に保存することになりました。
その日の夜のこと。

例のごとくトイレにおきた私は、おまるで用を足していたのですが、
突然壁に黒い影がうつったのです。
トランプのジョーカー。今思うに。まさにそのようなかたちの影でした。
2本の長い耳をだらんとたらし、かぎ爪の両手を大きくふりかざします。

ああ。また、いたずらしてるな。
なれっこのわたしはじっと影絵を見つめておりました。
ふと視線を足下にもどすと。蛇がいます。
白い透明の輪郭。床が透けて見えています。
そろそろと床をはい、わたしの足下をとおりずぎ、
どこかへ消えてゆきました。

次の朝、台所でごはんを食べていると、
茶の間でおばあちゃんがおじいちゃんに、
マムシはやっぱり怖いから、お寺に預けにいこう
という相談をしていました。
おばあちゃんは蛇が極端に嫌いでしたから。
昨晩のことは、おじいちゃんにもおばあちゃんにも話しませんでした。
結局マムシはお寺に預けられ、マムシ酒を楽しむことはできませんでした。


さて、今回ご紹介するのは【岩手県遠野市(とおの)】
民俗学者・柳田国男がフィールドワークした場所。
彼はここで土地の人の話を聞き書きし
「遠野物語」を発表しました。みなさんもご存知かもしれませんね。
オシラサマや座敷童やうねどり様やおびんずる様やカッパや
そのほかいろいろさまざまな妖怪や神様が息づく遠野。
古い古い神社の古ぼけた鳥居。
清流の流れにはカッパがすむといわれ。
かつて馬と人が一緒に暮らした茅葺きの「曲がり家」も
いくつかのこっています。
曲がり家を利用してできた「伝承園」や「とおの昔話村」を訪れれば、
何千体ものオシラサマにも出会えます。
遠野在住のおばあちゃんが、囲炉裏の火に当たりながら
昔話もしてくれます。
最近はすこし観光地化されている気配もかんじますが、
早朝や夕暮れ時に山ぎわの田んぼを歩けば、
ちょっと前まで人間と一緒に暮らしていたモノたちの
気配はまだまだ感じることができると思いますよ。

みなさんのちいさいころはどうでしたか?
幽霊じゃなくて、妖怪。
まっくろくろすけやととろや
その仲間を見たことのある人はいませんか?

2004年11月07日

東北まみれ6とろんたるんフェチな人は

ほっぺたフェチです。あかんぼうの。
0歳から3歳くらいまでのあかんぼうの。
まずは、フェチらしくその眺めから楽しみます。
あかんぼうの斜めうしろにしゃがみます。
このとき、ちょうど目の前にあかんぼうの後頭部が位置するようにしてください。
そして体をすこしずらし、あかんぼうの後頭部と一緒に
横顔も見える位置まで移動しましょう。
ななめうしろから見る、頭部からあごにかけての景色といったら!
...たまりません。
とろんとろんたるんたるんした最高級のしもぶくれ肉。
ごはん10杯いけます。
ウイスキーも10杯いけます。

しんせきの家にあそびにいったとき、
あかんぼうが寝ている部屋に侵入し、
右のほっぺたをべろべろ食べてやりました。
寝ていあかんぼうが大泣きしていたっけ。
お母さんがあわててやってきてあやしていたっけ。
おいしかったなあ。

というわけで今回ご紹介するのは青森県青森市内
の居酒屋【ゆうぎり】の【イカ刺し】です。
ゆうぎりは、大ママのおばあちゃんが(80歳くらい)、
親戚のおばちゃん連中を束ねてきりもりしている居酒屋。
毎朝おばあちゃんが市場に出向いて仕入れてきた、
あるいは漁船のおじちゃんたちにお願いして沖でとってきてもらった
魚介類がこれでもかこれでもかと店に並んでおります。
おすすめはやはり魚介のお刺身。
なかでもイカ刺し。

わたし生きているイカ刺しをこのお店で初めて見ました。
みょこみょこみょこみょこ元気にうごいてるんですよ皿の上で。
それをわりばしでとやあっ!とつかまえましてわさび醤油できゅーっと。
....とろんとろんたるんたるん....。
まるであかんぼうのほっぺたのような、
したざわりとあじわいなわけです。
じゅるり。

地元の人から青森出張のおじさんお兄さんまで
居酒屋・ゆうぎりのファンは多く、
お勘定のときに、「じつは東京からきたんですよ」というと
おばあちゃんが
「ホテルの冷蔵庫で冷やして、朝ごはんの時に
ごはんにまぶして食べなさい。とてもおいしいですよ」(以上、津軽弁で)
と、特製の佃煮を折り詰めでプレゼントしてくれます。
青森旅行のさいは、ぜひゆうぎりにお立ち寄りください。

詳細をお知りになりたいかたはご連絡を。
あかんぼうのほっぺたフェチな方もご連絡を。
ほっぺたのどの部位に欲情してしまうかご連絡を。

2004年11月06日

東北まみれ5なまこまみれ

先日、定食屋で昼ごはんをたべておりますと、
OLさんグループ4名がなだれこんできまして。
近くのテーブルだったので彼女たちの話しがきこえてくるのです。

A子「はーい!みんなにおみやげー」   
B美「なになになにー!すっごーい」
C華「えーっせんぱいどこいってたんでしたっけ?」A子「マレーシア」
D緒「ちょっとやけたんちゃうのおー」  B美「なにこれ?化粧品?」
A子「そう、なまこ入りのクリーム」
C華「何日行ってたんですか?」  A子「1週間」D緒「うらやましいー!」
B美「なんに効くの?」
A子「コラーゲンとかコンドロイチンが豊富で、お肌つるつるになるらしいよ」
B美C華D緒「やーんうれしいー」
B美「で、なまこってなに?植物?動物?」

さて、今回ご紹介するのは、青森県は下北半島に位置する【横浜町(よこはままち)】です。
陸奥湾に面していて、海から陸へとなだらかな丘陵地がつづきます。
見渡すかぎりの緑の牧草地に、馬がぱかぱか歩いている風景は
北海道の富良野を思わせます。

横浜町は、菜の花の作付け面積日本一で、毎年春には菜の花祭りがひらかれます。
やわらかい黄色の布でざざーーーーーーーーーーーーーーーっ
とおおわれた田畑や丘。そのむこうに広がる青い海。
これはつかえます。ロケでつかえます。
黒沢明の「夢」にでてくるような、おだやかなまぼろしの光景。

横浜町にはもうひとつ名物があります。
ルイ・ヴィトン、グッチ、フェラガモ、アルマーニ、フェンディ、横浜町。
これらすべてに共通するのは、「有名ブランド」であること。

横浜町はある物の有名ブランド産地なのです。
発売と同時に売り切れ。
地元の人でもなかなか手に入れることはできません。

なまこ。

横浜町は日本屈指の良質なまこの産地。
とれたてのなまこはよい香りのするヒバの樽に丁寧につめられます。
そしてお歳暮などの贈答品やお正月料理としてつかわれるのです。

わたしは横浜町で、
なまこの酢の物、なまこそば、なまこの姿煮を食べました。
菜の花の芽をねりこんだ菜の花ドーナツも食べました。

あ、ちなみにみなさんは
なまこが植物か動物か知ってますよね。
ふつう。

なまこは敵がおそってくると、自分の内蔵を吐き出して
相手をびっくらかしてそのすきに逃げます。
マレーシアはなまこの産地です。日本のなまこより大きい。

以上トリビアでした。

詳細を知りたい方はごれんらくを。
なまこについてもっと知りたい方もごれんらくを。

2004年11月05日

東北まみれ4こんなところで思い出話

今も昔も人づきあいはよくありません。
勉強ができるわけでもなく、部活に入れ込むわけでもなく、
目立たない地味な高校生だった頃。
わたしに1人だけ友達がいました。

まったく正反対の女の子です。
女子バスケ部の主将で生徒会の役員で
後輩たちのあこがれの的で男子からも一目おかれる女の子。
仮に、吉村としましょう。

いっけん少女漫画のヒーロー(女ですが)のような子だったんですが、
吉村はすこし変わっていました。
独学でヒエログリフ(エジプトの象形文字)を勉強し、
すらりすらりと読んでしまう。
エジプトが大好きで考古学が大好だったのです。

吉村との出会いはおぼえていないのですが、
しんと白ちゃけた昼間の教室で、
一人お弁当を食べている私のそばに
たいてい彼女の姿があったように思います。
(教室でお弁当を食べる人は少数でした。
わたしと吉村しかいない日もよくありました)

わたしがお弁当をたべている間
吉村は図書館で借りてきたエジプトの
博物館の写真集を眺めたり、
ヒエログリフの解説をしてくれたり。

そんなとき、しょっちゅう廊下から彼女を呼ぶ声がきこえてきます。
同じクラスの子部活の後輩や先生
「ヨシー!ちょっとー」
「先輩、今日の試合の人の割り振りどうしましょう」
「吉村、生徒総会のプログラムの件でな」
「おー、いまいくわー」と声をかけ、
「じゃあな。これかしとくわ」
と写真集をおいて、吉村は教室を出て行くのです。

吉村と私のつきあいは、彼女の大勢の友達や
後輩や先生にとって謎だったようです。
なんであの吉村が、あんな子と?
たしかに、わたしからみてもそうでした。

吉村は天文部にも所属していました。
天文部では年に4回ほど、
屋上のプラネタリウム兼部室で天体観測合宿がありました。
高校3年の秋の合宿に、吉村のすすめで
わたしも参加しました。

しんとした夜の部室で、電気ストーブに当たりながら
近所のお好み焼き屋で買ってきた
お好み焼きと焼きそばを食べました。
星の話をする人はだれもいません。
だれがだれのことを好き。あんな奴はやめとけ。
このまえ見ちゃったんだけど。どこまでいってんのあのふたり。
恋話にあきたら、トランプ、花札。
たまに部室の外へ出て空をみあげたりしました。

コンクリートの床で足踏みし跳んだり蹴ったり
手をこすりあわせたり息をふきかけたりしながら、
吉村の話すペガサスやペルセウスやアンドロメダの
解説をききながら、星を見ていました。
寒い寒い秋の夜ふけに、熱っぽく星の話す吉村が、
うらやましかったのです。
吉村にはバスケも、エジプトも、星もある。
わたしには、勉強にしろ遊びにしろ
そのことを考えるだけで体温が上昇するような、
そんなものがなにもありませんでした。

明け方、部室から引っぱりだした毛布を頭からかぶり、
缶コーヒーを飲みながら私と吉村は屋上に座っていました。
桃色の雲がぶわぶわふくらんでだらしなく広がっていくような
朝焼けでした。急に胸苦しくなりました。

私「吉村はさ、なんであたしとつきあってんの」
吉村「はあ?」
私「おもんないやろ」
吉村「...あほとちゃうか、おまえ」
私「...吉村のほかの友達とか、おもろい子いっぱいおるやん」
吉村「あたしのヒエログリフ講座、
おもろがってきいてくれる子、
おまえ以外この学校のどこにもおれへんやろが」
私「...まあ」
吉村「それだけでもおまえは天然記念物やねん」
私「なんじゃそりゃ」
吉村「...将来、考古学やりたい。
エジプトにもいきたいし、発掘もしたい」
私「ロマンやん。ええやん」
吉村「親にはいえへんけどな」
私「勘当やな」
吉村「もちろんバスケはバスケでおもろいけど。
エジプトのこと考えてる時がいちばんおもろいかな」
私「...ふーん」
吉村「そやから、おまえと一緒にエジプトの話とか
考古学の話するんが好きやねん。あたしにとっては貴重な時間やねん」
私「...そう」
吉村の腕がわたしの腕にまわされ、
わたしたちはぎゅうっとくっつきました。
吉村「...おまえはどうすんの?」
私「わたしには、なにもないなあ。将来のことも。
ぜんぜんまったくわからん」
くしゃみが出ました。
吉村「...おまえ、ちょこちょこ文芸部の雑誌に投稿してるやろ。
なんか、そこらへんから見えてくるんとちゃう?」
私「小説家とか?」
吉村「サイン会には呼んでくれ」
私「無理やって。なれるわけない」
吉村「無理かどうかはおまえが決めることちゃうよ。
それはおまえ自身にたいして失礼や」
私「...」
吉村「...」
私「...なんか、かっこええことゆうてるやん」
吉村はわたしに笑いかけました。
吉村「やりたいことしかやらへんやろな。おまえは。
会社につとめるとか、むいてないかも」
私「...そうかもなあ」
吉村「人生は短し、いろいろ恋してみろっちゅうことやね。
そんなかでやりたいこと見つけていけばええんちゃうかな」
私「...かっこええやん。さっきから」
わたしたちはそのまま、ぎゅうっとくっついたままでいました。
寒いけど、あったかいな。けどねむいな。
吉村のことが好きやな。ずっとこのままがええな。
へんな色の空やな。人生って短いんかな。
わたしには見つかるかな。
吉村とずっと一緒におりたいな。吉村大好きやな。
そんなことを考えていたのを覚えています。

今回ご紹介するのは青森県の八甲田山にある青荷温泉。
山奥の深い谷あいにある温泉です。
いまだに電気がとおっていません。
お昼過ぎになると(山奥なので、すぐに日が暮れるのです)
宿のおじさんが、廊下や部屋、内風呂や露天風呂に
ひとつひとつランプを吊していきます。
じきに真っ暗闇の夜がきて、
ランプの灯りが懐かしい光りをなげかけてくれます。

山奥なのでなにもすることはありません。
テレビもありません。
布団に寝転がって、
ランプの灯りを見つめながら、大切なひとと話していると、
懐かしい思い出がつぎつぎによみがえってくるような。
そんなお宿です。

詳細が知りたいかたはご連絡を。
お互い、思い出話の似合うお年頃になっちゃいましたね。

2004年11月02日

東北まみれ3こんな所で決闘したい

学生時代、とあるバーでバイトしていました。
ある夜更け、テンガロンハットをかぶりベストにジーンズにブーツを履いた、
無精ヒゲの太めの男性が1人で入ってきました。
かんぺきな西部のガンマンスタイルでした。
「これで飲ませてくれ」
男性は、ポケットに手を突っ込み、
十円や百円のまじった小銭をじゃらじゃらとカウンターにおきました。
面食らいながらマスターに、ヘルプ!の視線を送ると、
常連のお客さんとの会話にもりあがりつつ、こちらを横目でうかがっています。
...スマートにあしらえってことですね…。私はガンマンに笑顔を向けました。
言葉も明瞭だし、ふらついていないし、酔っぱらいには見えません。
この人は正真正銘本物なのだと自分に言い聞かせました。
「何がよろしいですか」「バーボンや」 
ガンマンはテンガロンハットをとり、カウンターに置きました。
「ねえちゃん。うでずもうせえへんか」「は?」「うでずもうや」
マスターは常連客と会話しながら、横目でこちらをチェックしています。
...スマートに対応しろってことね。。。
私は腕まくりをし、カウンターにひじをつき、ガンマンと対峙しました。
「ほそいうでやのう」「シェーカーはふれますから」
あっけなく勝負はつきました。

ガンマンは満足そうにヒゲをなでました。
「今な、決闘してきたんや」 「…勝ったんですか」
「そやから飲みにきとるんやがな。
...ねえちゃん、決闘したことあるか」
「ないです」「せんほうがええ。あんなぶっそうなもん」「はい」
「そやけどな、せんとあかん決闘もある」
「そうですか」
「ねえちゃんは、なんのためやったら決闘できる?」
「…ええと…」
「決闘は、自分のためにするんやないで。誰かのために、誰かを守るためにするもんや。
ねえちゃんには守りたい人はおるんか」
「いまのところ、いません」
「はよつくりや。守りたい人がおると、人間、つよなるからな」
ガンマンはグラスを手にとり目の高さにあげ、
「乾杯」と一気に飲み干し、
「また来るで」と言い残して、
さっと出て行きました。
白昼夢のような出来事でした。
けれど、本当の話なのです。

今回ご紹介するのは、岩手県田野畑村にある【鵜の巣断崖(うのすだんがい)】です。
田野畑村の太平洋にめんした海岸線は、リアス式海岸。
200メートル級の落差のある、大迫力の断崖絶壁がずずずーーーっとつづきます。
なかでも、【鵜の巣断崖】と呼ばれる地点は絶景ポイント。
断崖の上から見下ろす垂直に海へと落ちる断崖の風景は、トラウマになります。
風がごうごうと吹きつけ、足もとがぐらぐらします。
おっそろしい光景です。
落ちたら助かりません。かくじつに。

一生に一度、大切な人を守るための、大勝負にふさわしい場所です。
もちろんあなたは断崖を背に相手と対峙しましょう。
後がない。文字通り。
そうして大切なかけがえのない人を守りぬくのです。

めでたく勝負を制したあかつきには、
田野畑村の牧場で、新鮮な草だけをたべてくらしている
乳牛からしぼったお乳でできたヨーグルトで、乾杯!
甘ったるくなく、さわやかな酸味があって、しっかりかめるヨーグルトです。

くわしく知りたいかたは、ご連絡を。
グッドラック。

2004年11月01日

東北まみれ2こんな場所で告白はいかが?

告白。
したことありますかみなさん。

わたくし初めての告白は大学生。
入学式でにぎわう構内を歩いていた時、
広告研究会のメンバー募集のパンフレットをなにげなく受け取りました。
そして、ぱらぱらめくっていてメンバー紹介のページの、
ある写真に釘付けにされたのです。
「このひとに会わなければ」
これが、広告研究会に入ることになったきっかけでした。

で、大学3年間ずっとその人を思いつづけまして(ずいぶん奥手でしたなあ)、
もうすぐ卒業するんだし告白だけはしとくかなあ...と決心したわけです。
しかし、いったいどこで告白すればよいのか。
部室は部員がいっぱいいるし。学科がちがうから教室もわかんないし...。

で、呼び出したところは、運動場を見下ろす高台のベンチでした。
折しも時計台の針は4時を指し。秋の夕暮れはつるべ落とし。
黄昏の薄い光がベンチのふたりを照らし出すのでありました。(ヨッ!)
構内に人気はなく。運動場では陸上部員が数人ばらばらとランニング。
ポプラの木々からはらはらと枯れ葉が散っていきます。

私(うつむきながら)「あの、その、迷惑やったらごめんな。あの、ずっと好きでした」
男(うつむきながら)「.....あ...そう....なんとなく、気づいてたけど...」
私(動揺しつつ)「あはははは、そうなんかあ。ばればれやったんかあ...」 
男(うつむきながら)「...ごめん」
私(奈落の底にたたき落とされつつ)「あ、はい」
男(私を見て)「俺、ちょっと前からつきあってんねん」
私(奈落の底に倒れふしつつ)「あ...そうなんや」
男(私を見て)「その子のこと、大事に思ってんねん。そやから、ごめん」
私(奈落の底で起きあがろうともがきつつ)「うん。わかった。わたしこそ、突然ごめん」
男(うつむきながら)「...けど、おまえとは友達やから。
これからもそんな関係でおりたいから、
だから、ちゃんと部室こいよな。絶対こいよな」
私(奈落の底にへたりこみつつ)「...うん」
男(私を見て)「こーへんかったら承知せえへんからな」
私(奈落の底から立ち上がれぬまま)「...うん、ありがと...」

THE END

さて、今回紹介するのは、秋田県八幡平国立公園の中にある【大沼(おおぬま)】
ブナの林に囲まれ、しんと静まりかえった大沼。
風で水面がゆれる以外は、波立つことはなく、
鏡のような水面には、青空を、新緑を、紅葉を、雪景色を写し出します。
沼のまわりには木道が整備され、てくてく散策ができます。
八幡平自体はメジャーな観光地ですが、
その中にあって大沼は静かなところ。
観光客が大挙しておしかけてくる場所ではありません。
空気も冷たくて透きとおっている感じ。

こんなところで秋の静かな夕方に告白したら(されたら)....。
大沼の大自然が、あなたの強い味方となってくれるはずです。
完璧です。

湖の横には、さびれた民宿があり(地元料理がめちゃくちゃうまい)、
これまたポイント高いのであります。
くわしく知りたい方はご連絡を。

グッドラック。

タイミングと場所って、わりと大切なんですよねえ...。

2004年11月01日

東北まみれ1こんな所でPV撮影は?

仕事がら東北ばかりいっとります。東北にしかいきません。
青森なんか年に100回はいっとります。(それぐらい何回も、のたとえ)
入社したての時、先輩の出張ボードに「下北」とメモがありました。
近場で出張なんて、何の取材だろうと思いました。
「下北」が、青森県最北端の「下北半島」を指すのだと気づくのに
そう時間はかかりませんでした。
そのころの私は、東北=(イコール)さむい。くらいのイメージしかなかったんです。
みなさんはどうですか?東北出身の人はともかく、東北と聞いて何を思い浮かべますか?
仕事場には、いろんな東北用語が飛びかいます。
先輩「けんさんの資料どこいったっけ?」私「..え?高倉?」先輩「宮沢賢治だよ!(岩手出身の作家)」
先輩「ますみの書いた本読んどいてね。あと、けいげつも」
私「...え?カレー毒物のひと自伝書いたんですか? 経血...?」
「菅江真澄と大町桂月だよ!」(菅江真澄/江戸時代に東北を旅した文人。大町桂月/明治の文人。青森県十和田湖、奥入瀬渓流の景観を世に知らしめた)
先輩「おシラさまと卯子酉(うねどり)様、おびんずるさまは撮影しといてね」
私「..........は?」
先輩「...九戸政実が...奥州藤原氏が...遮光器土偶が...鏝絵が、塩竃神社が、ねぶた祭りが、棟方志功が...etc...」
私「......」

というわけで、東北にだぼんとつかって数年がたち、
まだまだ魅力のほんの一端にしか触れていないわけですが、
実際に私が行った場所で、ぜひみなさんにも訪ねてほしい場所や体験してほしいことを、
ずらずらっと紹介していきたいと思います。

今回ご紹介するのは【青森県 階上町の小舟渡海岸】
青森県の太平洋側の一番南に位置する町です。

映画やPV撮影で、ロケ現場を探している方にはとくにおすすめです。
短い丈の草がはえる丘がずーっと向こうまで続いています。
丘の先っぽの海に面した場所に、背のひくい白い灯台がたっています。
夏に行くと、緑の草に白い灯台が浮かんで、ちょっと恥ずかしい絵葉書みたいかも。
草原を下っていくと、石ころや砂まじりの海辺へおりることができます。
そこから先に太平洋が青くひろがっています。
丘の奥まったところに、小学校の建物が立っていて、毎日海を見ながら勉強をしてるようです。
さえぎるものは電柱も電線も何もありません。灯台と、小学校と、ずーっと広がる丘と海。

わたしが訪れたのは冬。「日本一早い日の出」を写真撮影する予定で、
朝の4時から鼻水ずるずるさせながらねばりましたが、地平線に雲が立ちこめ、無理でした。
灰色のちぎれ雲がものすごい勢いで青空をとんでいく、
なんとも変なお天気で、風も冷たかったし波も荒かった。
日本の風景ではないような、たとえばドーバー海峡のような、そんな印象でしたね。

ぜひ、秋から冬にかけての、風の強い日に訪れていただきたいですね。
楽器は灯台をバックにセッティング。
まずは丘のはじからはじまでバンドメンバーがむやみに飛び跳ねながら
走るシーンから撮影に入りましょう。風に飛び散る草も演出でいれたりして。

もしくはクレーンを借りて、演奏するメンバーからどんどん上に引いていって、
丘や海まで広がる映像とか。
いかがでしょう。くわしくおしりになりたい方はご連絡を。

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